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芸能人ゴシップニュースブログ2014

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高倉健、死去、死因は? [芸能]

芸能人ゴシップニュースブログのmihoです

【高倉健、死去、原因は?】本当に驚きです!!

undefined 高倉健

11月18日、スポーツ報知の報道で、俳優の高倉健(83歳)が、亡くなられていたコトが明らかになりました。死因は、悪性リンパ腫だそうです、次回作を準備中に体調をこわし、治療の為入院していた東京都内の病院で、11月10日午前3時49分に死去されました、享年83歳でした。
事務所によると『往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし』(高倉の座右の銘)天明を全うした安らかな笑顔だったといいます、故人の遺志で、既に近親者での密葬を執り行ったそうで『静かに祈りを捧げて頂けますことを願っています』として、供花・供物は辞退します、とのことです。

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高倉健とは---
高倉健(たかくらけん)、本名小田剛一(おだごういち)、1931年2月16日(83歳)、福岡県中間市出身、180cm、俳優・歌手、1955年~活動、高倉プロモーション所属しています、背が高いんですね~、年齢を重ねていても本当にカッコイイと思います。

有名な出演作品では---
八甲田山、幸福に黄色いハンカチ、南極物語、ブラック・レイン、鉄道員(ぽっぽや)などなど数知れず、最優秀主演男優賞なども、何度も受賞しています、その他にも主演男優賞などなど、凄いですね。
2006年文化功労者、2013年には文化勲章を受章しています。

undefined 文化勲章受章時

高倉健は、裕福な一家に生まれました、父は旧海軍の軍人、母は教員、幼少の頃は肺を病み虚弱だったが、中学生の時は、ボクシングを覚え没頭していたほどだったといいます、その頃英語にも興味を持ち、米軍司令官の息子と友達になり、日常の中で学んでいったといいます、貿易商を目指し明治大学商学部を卒業、1955年に知人のつてで、あの美空ひばりが所属する新芸プロ事務所のマネージャーになる為に面接を受けた時に、その場に居合わせた東映東京撮影所の所長でプロデューサーの、マキノ光雄にスカウトされ東映へ入社、映画デビューには演技研究所で6ヶ月の基礎を学び、撮影所で6ヶ月の修行(エキストラ)を経験するコトが決められていたらしいんですが、なんと高倉は、採用から1ヶ月半で主役デビューが決定してしまったという逸話の持ち主、その時マキノの知人に『高倉健』と命名されたと言いますが、本人は『忍勇作』が良かったとのことです、自分の希望の芸名が却下されて、高倉健の名で、いやいやデビューしたといいます、1956年の映画、電光空手打ちで主役デビューし、その後数々の映画に出演していましたが、まともな演技トレーニングも受けなかったのが、高倉健には、コンプレックスになっていたといいます。

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高倉は、1960年代前半迄、時代劇映画をメインにしてた東映に助演、1963年以降、任侠映画を中心に活躍、1964年~のシリーズ物では華々しく主演を飾っていく、1966年【カミカゼ野郎】以降には、ハリウッド映画や東映映画以外にも出演していましたが、1970年に当時の東映社長の大川に、ヤクザ映画にも出るが好きな映画を作る自由も認めて欲しい。と話し、社長の了承後、高倉プロを作るが、翌年1971年に大川が死去してしまい、新社長には、特例は認めないと反対されてしまう。このまま東映に居たら、ヤクザ役しか出来なくなる、と高倉は危惧し、1976年に退社してフリーに転向、そして今のスタイルを確立していった、という訳です。

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映画俳優と自らを名乗る一方で、テレビドラマにも出演、1977年の初主演『あにき』を含め5作品程である、その出演理由が、なんとも高倉らしい【故郷に居る母親に、毎週自分の顔を見て安心して欲しい】というものだった。
高倉は、礼儀正しい人。としてとても有名で、全ての共演者に挨拶したといいます、監督は勿論、スタッフ迄にも、必ず立ち上がり丁寧にお辞儀して敬意を払ったといいます。
寡黙なイケージの強い高倉ですが、実際は話し好き・いたずら好きで、とても楽しい人だったといいます、ロケ先では、地元住民との触れ合いもかかさなかったとか。
千葉真一は、高倉を一生憧れの存在で、永遠の師匠。と言っている、千葉だけには限ったコトではなく、多くの人に尊敬されています、又、気持ちの通じ合った人には、高級な腕時計やライターなどと共に、感謝の言葉と高倉健の名前が入ったモノをプレゼントするというのは、とても有名な話ですね。

undefined 江利チエミ

江利チエミとは---
映画の共演が縁で1959年2月16日自身の誕生日に江利チエミと結婚、1962年子供を授かるものの、重度の妊娠高血圧症候群は発症し、中絶を余儀なくせれ、結果子供には恵まれなかった、1971年9月に離婚、その後、高倉健は独身を通した生涯を送った、江利は離婚後1982年2月13日、脳出血と吐瀉物によって窒息死をしています、江利の葬儀には参列しなかった高倉だが、毎年命日には、かかさず1人で墓参りをしていたといいます、離婚の原因も不仲によるものではなく、江利の異父姉が妬み、高倉夫妻の財産横領を行うようになったり、週刊誌に夫妻のコトをリークするなど悪質かつ執拗だったらしく、これ以上高倉に迷惑を掛けれないと、離婚を申し出たとされています。もしかしたら高倉は、一生涯の妻は別れても江利さんだけだ、と決めていたのかもしれないですね・・・、周りの人達のせいでダメになるなんて・・・、切ないですね。

俳優にとって体は資本。という信条を持っていた高倉は、筋力トレーニング・ジョギングを欠かさなかった、2012年からはウォーキングやストレッチを日課としていました、酒も飲まないそうです、大分前はタバコを1日に80本吸うヘビースモーカーでしたが、映画八甲田山が3年がかりの長期ロケだった為、願掛けに行った成田山の初詣以来、タバコは吸っていなく、30年以上断っているといいます、血糖値測定や健康チェック、食べ物にも気を付けていたといいます。

【高倉健、死去、死因は?】自分に厳しく、健康面にも気を使っていたのに、悪性リンパ腫だなんて・・・、本当に残念です、健さんご冥福をお祈りします。

最後迄お読み下さり、有難うございました。


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